Kunitake, Yuto. ”Affirmative action in Japanese higher education: A critical examination of DEI implementation” Social Sciences & Humanities Open
日本語の史料ばかり集めて読む作業をし続けていて、最近英文を読めてないなあ、ちゃんと読まないとなあと思っているところ、ふと前に「読んでください」と強く言われていたものがあったと思い出し、読んでみたので軽いまとめと感想を。やはり日本人の書いた英文は読みやすいね(後半だるくなってAIを使ったりしたが)
内容
・アメリカでは人種をもとにした大学入試におけるDEI政策が批判され、最高裁で違憲判決が出た。
・こうした状況にもかかわらず、日本ではアファーマティブ・アクション(AA)が推進されている。
・人種的に均一な社会である日本では主に女性推進の文脈でDEIと言われる
・欧米で発展したDEIが日本ではいかに再解釈され、だれを受益者としているのか、大学入試と研究者の採用に限って比較検討する
・方法としては、文献レビューと統計を用いる。
文献レビュー
・日本の大学のDEIは基本的に多様性(D)を中心としてきた。そして06年以降、ほぼ女性活躍と結びつけられ、その文脈のまま今に至っている。
・「女子枠」は、文科省の思惑の元急速に広がりつつある。大抵より簡単なテストかテストなしで受けられる。これは女子学生に「簡単なテストで受かった」というスティグマを与えかねない。
・アメリカや欧州では違法とされる枠制度が日本では海外を頼りに行われている。
・また、男女雇用機会均等法をもとに、研究者の採用の中では女性のみの採用が拡大している。
統計分析*1
・進学率では地域格差が大きく見られた。
・男<女という高等教育進学率、男性の方がジェンダーに基づく進学についての干渉(勧め、制限)をうけている、経済状況による進学状況の変化(私学を避け、地元を選ぶ傾向)が見られる。
・にもかかわらず女性に偏っているDEI政策は「選択的適用」の問題がある。
まとめ
・女性の方が高等教育進学率が高い現実を無視できない
・STEMに女性が少ないのは自由な選択の結果だ
・看護・保育という女性が圧倒的な分野にも(にこそ?)DEIを導入すべき
・女性採用により男性ポスドクの研究者が路頭に迷う危険
・実体のない「国際」の名のもとにDEIを女性に限定して枠を設けるという極端な政策をとるのはおかしい
・結果として男性こそ不平等を受けているという感覚がZ世代にはある。
・日本でのDEI政策は政策的・統計的検証を絶えず受けなければならない。
(要点だけまとめたつもりなのでところどころ端折っている)
検討
まず立場を明らかにすると、私自身は現状の女子枠を必要悪だと考えている。別に在籍する人をうんぬんするわけではないが、理学部や工学部の男性率は正直異常で、その社会的重要性を鑑みて改善は必要だと思う。さらに言えばーーこれは地方格差や経済格差にもかかわるがーー日本の入試の点数重視・ペーパーテスト重視は異常であり、wakatteTVのような怪物を生み、学問観や大学観に悪影響だという視点からも、「簡単なテストで受かりやがって」のような批判には反論したくなる*2。そもそも人口が減っている状況でテストの難易度でマウントをとることに意味があるのだろうか、それこそその点で平等を主張する者たちは世代間格差をどう感じているのか。
さて、一通り読んだ上で、女性活躍にDEIが限定して使われがちという論点や、地域格差経済格差への支援の方がより必要なのではという論点についてはうなづけるところがある。また、明言せずに総合入試などで女子を優遇する大学も卑怯だと思うし、しっかり明言すべきだと思う。実際、女子枠が急速に広がる背景には文科省の強い意向があるのは明かで、大学の独立性といった問題からもどうかと思うところがある。また、研究者の就職に関する問題は一般的に非常に深刻で、早急にどうにかするべきだろう。
一方で気になった点も多々ある。
大きく気になった点
・「人種的に均一な社会」である日本ではDEIや多様性が女性問題に限定されていると指摘するが、例えば90年代までは朝鮮学校の生徒が大学を受けるのに大きな障害があったことに批判が集まり、紆余曲折を経て現在ではほぼ解消されているといった事実がある*3。アメリカなどと比べると比較的ないが、人種民族問題は日本にも厳然と存在し、かつ大学政策にも影響してきたことは無視できない。こうした事例は今日的なDEIの一環ではないだろうか。
・関連して、DEIと言われていないだけで(あるいはそれが言葉として「流行」するのと女性活躍の「流行」がかぶっているだけで)、実質多様性のための政策というのは多々行われてきているはずである。例えば文科省の進めた70年前後の学生寮の整備などは地方学生のためのものだった*4し、より広く言えば義務教育の教科書の無償化もそうだろう。言葉としての「多様性」「DEI」と実体としてどういうことが行われてきたかは分けるべきである*5。DEIという言葉と海外における用法との違いに拘泥するが、果たしてそれで正確に実態がつかめるのだろうか。
・高等教育進学率の男女比に言及しているが、その内実をより詳しく見ると、大学の学部では女性の割合が約44%であり、男性の方が多い。一方、短大では女性が約87%*6と圧倒的で、専門学校も約58%となっている。高等教育の中でのこうした勾配について等閑視するのはどうなのか。また、短大ではそれこそ保育・看護が多いと思われるが、それらの仕事(エッセンシャルワークとも呼ばれる)の社会的地位・経済的状況などの国立大学の理系学部出身者との差を無視して「真のDEI」のようなものを語るのは無理があるのではないか。
・男性の方が干渉を受けているという話について、まず干渉の中身について精査しなくてはいけないはずである。もっといい大学行け!(勧め)と教育なんかいらん(制限)では話が全く違うのに、その割合だけで語れない。また、直接の干渉がないから「自由な選択の結果女性が少ない」となるだろうか?社会的状況や環境の差は直接の干渉によってのみ現れるのだろうか?
・研究職の女性のみ採用については私もあまりよく思わないが、そもそもDEIを推進するなら研究職のパイを増やすのが先決だという立場である。交付金の削減など研究者の立場を危うくする諸政策に言及せず、女性のみ採用に怒りを向けるのは不適当だ。
・Z世代の男性が「男こそ不平等を受けている」と感じ始めているからこうした政策は良くないとはならない。それこそナチス時代のドイツ国民と同じではないか。
ちっちゃい気になったこと
・論文中で女子枠を文字通りに訳すと”quotas for girls”としているが、この場合の女子は女性とほぼ同じ意味でfemaleと訳すべきだろう。おそらく日本語の女子が示す範囲よりgirlは年齢が低いイメージだと思われる*7。
・詳しくないので知りたいという意味も込めて。枠制度の存在を日本だけだと批判するが、そもそも日本の国立大の、定員を定めて試験ですぱっと切るという入試制度そのものが世界的に見て特異であり、その結果として特異なDEI施策が出来上がっているという可能性はないのか。それこそ日本の文脈にのせたDEIとして必然的にそうなっているとしたら欧米での違法性と比べることの正当性が保てなくなるのではないか。
以上。久々に批判的に英語を読むいい訓練になりました。